告知

告知

本人にどうやって告知をするかは、とても大きな問題だ。

娘は、自閉傾向でこだわりがつよい。

昔のつらい経験を、なかなか忘れることができずに、苦しむことも多かった。

そんな娘に「どうやって告知をするのか。」については本当に迷った。

「告知をしたことが原因で、大パニック起こしたり、今よりも、もっと自分を否定するようになったらどうしよう。」

「自傷行為がはげしくなったらどうしよう。」

私の頭の中を、不安がぐるぐる回り続けていた。

当時、娘は中学1年生で、中学卒業後の進路についても悩んでいた。

その頃、支援センターや通級は私の地域では開設されておらず、残念ながら、学校も相談できる対象ではなかった。

1番頼りにしたかった学校に、相談をすることができなかったのは、こんな出来事がたくさんあったからだ。

小学校1年生の時、担任の先生に

「私は、何度も1年生を担当していますが、こんなお子さん見たことありません(怒)」

と言われたことがあった。

今思えば、たまたまそういうタイプの先生だったのかもしれない。

でも、やっぱり娘は、学校にとっては

「困っている子」ではなく「困った子」だったということだ。

それからも、学校からは、私にはどうすることもできないことについて、苦情を言われることが多かった。

どんなに頑張っても「みんなにできている子育てが、上手くいかないことに悩んでいた私」は、

深く傷つき、学校を相談の対象にすることはできなかった。

そこで、

「いろいろな子どもを診察している、お医者さんに相談するのがいいのではないか。」と考え、

病院に相談に行くことにした。

それまでに、WISCは近くの病院で受けていたが、既に、数年経過しており、その頃うけたADHDという診断では、なかなか娘の理解や支援につながっていなかった。

すばらしいお医者さんに巡り合うことができ、

娘は、お医者さんをとても信頼して、自分のことをいろいろと相談することができていた。

私も、他では打ち明けることができない、いろいろな悩みを相談することができた。 

お医者さんやスタッフの方々に、ほんとうに感謝している。

告知のことをお医者さんに相談すると、

「告知をすると、落ち着かれる方が多いですよ。でも、動揺する可能性もあるので、本人の様子を見ながら、修学旅行が終わって、3年生になる前の、診察の時に私が告知しましょう。」

とアドバイスをしてもらった。

そんな中、2年生の終わりの修学旅行が近づいてきた。

新しいこと、初めてのことで、娘は、不安を募らせ落ち着かない日々が続いていた。

当時、娘が学校での居場所にさせてもらっていた(まだ正式入級はしていない。)

特別支援学級の担当の先生は、娘の対応が大変だったのか、

娘に対して

「これがちゃんとできないと、〇〇できないよ。」

という不安をあおるような対応が多くなり、

とうとう娘はある朝

「自分は、先生に言われたことが全然できないから、ダメな人間なんだ。」

と言って、わんわん泣いて、どうしようもない状況になった。

先生に「できない。」といわれていることは、娘の発達障がいの特性の部分だった。

「もうこれは、今、自分が告知するしかない。」と思った。

どうしてそう思ったかというと、それは「母の直感」と言うしかない。

直感というのは

「自分の、経験値の積み重ねからの、とっさの判断」

らしいので、

これは14年間、娘と向き合ってきた経験からの、母親のカンが「今だ!」と判断させたのだと思う。

ただ、思い付きで告知をしたわけでない。

「告知」について本で調べたり、娘が発達障がいの特性や、

障がい者に対してマイナスなイメージを持たないように、

少しでもポジティブに受け止めることができるように、

気を付けて接してきた。

そして「告知」をしたあと、娘が参考にできるような

「当事者の方が書いた本」なども準備していた。

パニックを起こしている娘に「告知」をすると、

娘はお医者さんが言っていたように「ホッ」としている印象だった。

当事者の方が書いた本を一緒に見て

「自分と同じようなことで困っている人がたくさんいるんだ。」

「うまくいかないことがあるのは自分の特性のせいで、でも、自分にはいいところもたくさんあるんだ。」

と前向きに受け止めてくれた。

本当にほっとした。

ずっと悩んでいたことを、ひとつ乗り越えることができて、肩の荷が下りた気がした。

告知をするということは、私にはこんな感じだった。

前に進むには、凍った川を渡らなくてはならないのに、ずっと、怖くて、なかなか渡ることができずにいる。

勇気を振り絞って、いつ割れるかわからない、うすーい、うすーい氷の上を、

一か八か、そーっとそーっと、娘と手をつないで歩いていく。

うまくいかなかったら、冷たい氷の川に、親子ともどもザブーンと落ちて、

そのまま氷の下を流されて、

もがいても、もがいても、

どこにも出口はなくて、

息が苦しくなっていく。

そんな感じになるんじゃないかと、恐怖を感じていた。

おおげさかもしれないけれど、

毎日、毎日、想定外のことが起こる、自閉症の子どもを育てていると、

この、大きなハードルは、本当に、何が起こるかわからなかった。

何が起こるかわからないということは、不安と恐怖でしかない。

だから、娘と、薄い氷の張った川を、渡りきることができて、本当にほっとした。

そして、告知した後に、娘と一緒に当事者の方が書いた本を見た。   

娘は、

「服のタグが気になるので、タグはみんな切っています。」とか

「時間表をうまく合わせられないので、かばんは、いつもパンパンです。」

というような記述を見て

「わたしもそうそう。私だけじゃなかったんだ」

とほっとしていた。

告知をした後に、娘と一緒に読みたいと思っていた本は

とても娘に力を与えてくれた。

当事者本だけでなく、

これからは、発達障がいを持つ人たちのための、

いろいろな「苦手の攻略本」も、自分で読むことで

「今度は、娘が、自分で調べて、乗り越えていくことができるようになるかも。」

と、少し明るい日差しが、差したような朝だった。

どころが、告知を受け、落ち着いた娘が少し遅れて登校すると、

考えられないようなことが起こった。

長くなってしまったので、何が起こったかは、次回、書きたいと思います。

娘は、いつも想定外を起こしてくれますが、この時は、先生の想定外です。

                              つづく

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