20年くらい前は「発達障がいへの理解」は本当になかった。
特に、グレーゾーンの場合は
「親の育て方に問題がある。」
ことにされがちだった。
都合よくつかわれていた言葉が
「愛情不足」
正直、今となっては「意味不明」だけど、
結構言われた。
「お母さん、お忙しいんでしょう。」ってね。
そして、自分たちに都合のいいエピソードを見つけては、
「だからね~。だめなのよ~。」
どんなに、どんなに頑張っても、他の人たちが頑張らなくても、当たり前にできることができない。
「育て方が悪い。」
ってことで、保育士さんにも、先生にも、親族にも責められ続ける。
そんなことが続くと
子どもどうこうの前に、自分が人と関わることに疲れ果てる。
そして、どうなっていったかというと
身を潜めての生活
人が集まるところには、できるだけ行きたくない。
でも、みんなが楽しみにしているイベントは、人が集まることだ。
だから、みんなが楽しみにしていることが、恐怖の対象になっていく。
なんか、すごくつらかったな。
まだ、娘に対して
「発達に問題があるかも?」
と不安に思っている段階の時
夏祭りに友達親子と出かけたとがある。
娘がぐずり始めて、心の中で
「やばい、やばい、このままだとギャーって大騒ぎになる。」
とドキドキしていたら
友人に「なんでちゃんと叱らないの。ちゃんと叱りなよ。甘やかしすぎだよ。」
と、きつく言われたことがあった。
「もちろん、そんなことは100も承知。」
「自分の常識で『やらなければいけない』と考えていることができない。」
から辛いのだ。
私は、心の中でこう考えている。
「ここで注意したら、みんなが見たことがないようなパニックになって、
手助けしてくれようとする人の親切も、お構いなしに大騒ぎをして、
周りの人から白い目で見られて、怒られて、笑われて・・・」
もう、恐怖以外のなにものでもない。
これまでの自分が、全く味わったことのない恐怖。
そして、だんだん、だれかと出かけることはなくなっていった。
すると、今度は、
「あの子の家、あんまり人づきあいがないみたいよ。」
なんて言われるようになっていった。
そうすると
「親が人付き合いが悪いから、子どもの社会性が育たない。」
みたいなことを、得意げに言われたりもした。
全然違うのに、何も知らないのに。
もっと、オープンにして、周りの助けを求めればよかったのかな?
でも、そんな勇気なかったな。
お盆の親戚の集まり、町内の子どもみこし、バーべキューなど
いろんな、人の集まる行事を、何とかやりとげた、
昔の自分に言ってあげたい。
おつかれさま。
頑張ったね。
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