幽体離脱をしたことがある。
場所は、娘が通っていた中学校の校長室。
「あ~。なんか、あたし、天井にぶらさがってる。」
下から自分を見上げる感じだったような
上から下を見ていた感じだったような
どっちにしろ、魂は体から抜け出していた。
なんで私が、中学校の、それも校長室で幽体離脱をしたのかというと、
当然のことながら、娘のことで呼び出されていたわけです。
そこにいたのは、担任 学年主任、特別支援学級の担任、生徒指導担当 教頭と私
大きいテーブルの向こうに5人が座っていて、私は1人。
「何ということでしょう。」
それも校長室です。
「悩める孤独な親」に対して宣戦布告をしようとしている以外に考えられません。
保護者面談で、1対5なんてありえません。
今だったら「おかしいんじゃないか。」と言えるけど、そのころの私は、娘がいろいろなことを起こしてしまうことに疲れ果てていて、黙って下を向いていました。
その会では、特別支援学級の担当者がひたすら「お宅の娘さんは、私に、こんなことを言いました。」「お宅の娘さんはこんなことをしました。」「育て方が悪いんじゃないか。」「愛情が足りないんじゃないか。」とただひたすら私に対して苦情を言い続ける。という会でした。
「自分にできることは何でもやって、それでも、トラブルばかりが起こって、疲れ果てている孤独な親」に、そんなことしたらそりゃあ、魂だって抜けます。
学校側はそれが正義だと思ってやっているわけですが、私にとっては命まで取らそうな極限状態です。
娘は小学校低学年の時に、病院で検査を受け「ADHD」という診断を受けていました。
そのことは、学校に伝えてありました。ただ、まだ特別支援学級には入級しておらす、クラスで過ごせないときに、適応指導教室や特別支援学級で過ごす。という感じにしてもらっていました。
当時は、特殊教育から特別支援教育には移行していたのですが、実際に行われていることは特別支援教育とは、全く違うものでした。
だから、今のように特別支援学級への入級希望者がたくさんいるわけでなく「できれば普通学級で」という人もたくさんいました。
そんな時に、正式に入級しないで、時々やってきて迷惑をかけていたのがいけなかったのかもしれません。
でも、「ADHD」の診断を受けているということは伝えてありましたし、ADHDの診断を受けていても「成長するにつれてASDの特性の方が濃くなってくる。」ということも結構あるのではいかと思います。
特別支援学級の担当者が苦情を言うのを聞きながら
「あ~。もう私はだめだな。助けてくれる人は誰もいない。もう、どうしようもない。」と心の中で思っているときに、もう1人の自分が「うつむいている自分、しゃべり続ける特別支援学級の担当者、黙っている先生たち、校長室の木目の広い机。」を天井から見下ろしていたような気もするし、本当はうつむいているのに、なぜか上を見上げていて天井の電気の所におなかを縛られてぶら下がっている自分が見えたような気がする。
あの日もつらかったな。
黙っていないで、反論すればよかったのかな。でも、あの時は、そこにいるだけで精いっぱいだったな。
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